*女性のための人生シリーズ*No3
玉の輿に乗った美女、ミス・ペルシャ?

続・おもしろ聖書エッセイ!For Women

バイブル中の美しい女性達のドラマがコミカルなエッセイに!〈part2〉

玉の輿に乗った美女、ミス・ペルシャ?

清々しい美女エステル心象

「エステル」という女性の名前を聞いたことがあるかも知れませんね。もしも、敬虔なクリスチャンに「エステルのようですね」、と言われたならたいそうな褒め言葉なのです。合計66冊で成っている聖書には、書名として著されている女性名はたった二人だけです。「ルツ書」のルツそしてこの「エステル書」のエステルだけなのですね。

然し、聖書は全てユダヤ人の男性達によって書かれているので、著者はエステルでもルツでもありません。男性だけが執筆した点について、ちょっとばかり不快に感じる女性も居られるかもしれませんが・・まあ、それは過ぎたことですね。今更、問題にしたところで益なしです。時間がもったいないですからね。社会的背景や伝統などが関係していた、と解釈しておいた方が、女性側としては幸せですね。

では、エステルとはどういう女性だったのでしょうか。今から、およそ2500年以上昔に、ペルシャが栄えていた時代の王クセルクセス一世(アハシュエロス王)によって、大勢の美女の中から王妃として選ばれたユダヤ人の娘です。

クセルクセス一世には、エステルの前にやはり美しい妻ワシテという王妃がいましたが、王である自分を侮ったとして(一度命令に従わなかっただけのようですが)また部下の助言やら法的理由により追い出しています。短気だったのか、飽きてしまったのかどうかは分りませんが、その当時の時代背景や立場があるにしても、思慮深くない王だったのでは?と思わなくもないですが・・。

ところでエステルは、現代でも多くの若き女性が憧れる「玉の輿」に乗りましたよ。彼女は孤児でしたから・・幸運中の幸運な『玉の輿』に乗った訳です。国中でシンデレラ騒動のように、相当の話題になったでしょうね。

両親のいないエステルを育てたのは、歳の離れている従兄モルデカイ(この人がエステル書を記録)という信仰の人でした。

では、エステルの容姿についてはどうだったのでしょうか?翻訳別に述べると「・・顔貌勝れてうるわしかり」「・・姿も麗しく、容貌も美しかった」(エステル2章)と、容姿端麗!何処から見ても、欠点のないルックス!その美貌は抜群のようでした。一度、この目で見たいものです。

当時、王妃候補として集められた娘達は、一年掛かりで、今で言う香りの良い高級なオイルによるボディマッサージを施されるという美容エステを受けたのですよ。その道のエキスパートまで付いていて、手抜きなしで万事を訓練したのです。現代のミスコンのための訓練みたいなものです。ですから、エステルはさらに美しくなっていったことは、言うまでもありません。美人がさらに磨かれて磨かれて・・ですからね。

でも、エステルの長所は外見だけではありませんでした。何でも願い求めれば与えられるにも拘らず、あれが欲しい、これが欲しいと言うことはなかったのです。物質に固執する女性ではなく、内面を重視するような優れた人格でもあったようです。

その内面の美しさが、表情や外貌にも表れていたのでしょうね。ライバルである多くの女性の羨望の目の中、王に気に入られて王妃となったようです。王妃になってからは、慎み深いだけでなく勇敢でもある事を示していくのです。

このエステルの勇気と賢明さのドラマテックな人生が、ハリウッドで映画化されたのか否かは存じませんが、まだならば、映画になると良いですね。それほどまでに、この美女エステルの見せる命懸けの勇気ある行動は、一冊の本として世に出しても充分通用するほど興味深いものなのです。

王妃として、玉の輿に乗ってから、暫くしてからのことです。いつの時代にも居そうな悪巧みをする野心家ハマンという、立場上偉い男が登場してきます。一応、下の地位にいた、エステルの親代わりであった従兄のモルデカイですが・・・強い信念があって、傲慢で嫌なハマンには、胡麻を擦らず、ひれ伏しもしなかったのです。ちょっと、堅い気質だったのかどうかはよいとして、このモルデカイの態度がハマンにとっては相当気に入らなかったのでしょうね。ほっとけばいいものを、高慢な男でしたから、要らざるプライドがあったのでしょう。

その恨みからペルシャ領土内に住んでいるモルデカイを含む、全ユダヤ人の絶滅を、企むのです。やることが陰険過ぎます。まるでヒトラーを連想してしまいますね。その提案を聞いたアハシュエロス王は、自分の愛する妻エステルがユダヤ人だとは知らないために、軽はずみにもハマンの悪巧みに安易に乗じてしまいます。

この王様は前の王妃の事件の時もそうでしたが、結構、判断において慎重さが欠けていました。戦で多忙だったのでしょうか、それとも軽はずみな傾向のある王かしら、と思ってしまいます。それですから、「ユダヤ人皆殺しの月日」を領土内で命じてしまうのですね。はらはらどきどきの最高潮はこの後です。

この企みを知ったモルデカイが、王妃エステルに知らせてユダヤ人を救うように!と、求めます。王妃としての立場上から、エステルに出来る方法は・・・なんとかして、王にしっかり伝えて殺害の命令を取り消すことです。唯一つしかありません。しかも、王に召されてもいないのに、許可もなく王の前へ出るというのは、この国では死を意味するタブーでした。

では、エステルはどうするのでしょうか?なんと!王にハマンの企みを告げる機会を得るために、招待も無いのに王の前に、出ることにします。自分の命を捨てる覚悟がなければ、できないほど難しいことだったのですね。

しかし、一つだけ、望みがありました。それは、妃が召されていなくとも王の前に出た時でも、王が許しの証明として、王自身が手に持っている手板(金で出来ていて王権を象徴)が差し伸べられれば、命は保証される訳です。しかし、差し出されなければ死刑に決まっていました。大きな賭けですね。

これが、当時のペルシャの法令で定まっていたのです。思い出してください。前の王妃ワシテがただ一度王の願いを拒否しただけで、その地位から退けられた事を考えれば、こちらの方は・・死刑ですから、まさに「命懸け」です。

それでも、これを知っているエステルはこう述べています。「我、もし死ぬべくば、死ぬべし」(エステル4章)。さあ、どうなるのでしょう?美人薄命か?エステルは美人でなかった方が長生きしたのかも、などと思ったりしますよ。この辺を読んでいると、時間を忘れてしまいます。

すると、何と神の導きなのでしょう。エステルの願いが聞き入れられてゆきます。それを機会に、エステルは王を後日、自分の宴へ招きます。王と共に、その場には、エステルの計画を何も知らないハマンが、喜び勇んで宴に参加します。そう、エステルは、彼の悪巧みを王の前で暴くために、ハマンを招待していたのでした。

さて、エステルの宴で気を良くした王が、エステルに対して「何でも願いを聞いて上がる。あなたの願いはなにか?」と、聞きます。素晴らしいチャンスが到来です。そこで、エステルは、はっきりと「ペルシャ内に住む自分の同民族が皆殺しにされようとしていますので、わたしの命をください」と述べるのでした。

これには、王もビックリ仰天でしたでしょう。愛する妻が殺される、とは。王は、尋ねます。「それは、誰によるのか?」と。待ってました!その時が来ました。その張本人ハマンの前で、エステルが言うのです。「それは、この男、ハマンです!」なんと劇的でしょうか。ハマンは文字通り墓穴を掘り、自ら図った陰謀で自滅します。

では、ユダヤ人皆殺しの企てはどうなったでしょうか?当時のこの国は、何であれ、一度定めた法は変更できないという柔軟性のない法律を持つ国でした。いつの時代も人間が決める国の法というものはフレキシブルの点では、難しいのでしょう。ですから、「皆殺し」は、そのままに、なされようとします。

そこで、またしてもエステルは勇敢な行動を起こし、王の前に出ます。王の金の手板を差し出されたので、今回もパスします。彼女は、涙ながらに王に対して、ユダヤ人を救って欲しいことを訴え、柔軟に変更できないのであれば、新しい法令を出してもらいたい旨を告げます。願いは聞き入れられて、逆にユダヤ人へ敵意を示すものを殺しても良い、と言う法が出来ました。

こうして、皆殺しが企てられていたその日、戦いはあったものの、絶滅の危機を乗り越えてペルシャ領土でユダヤ人が平安に住むようになるのです。ハッピーエンドですね。

もしもですが・・海外にて敬虔なキリスト教徒から・・「貴女はエステルのようですね」と言われたら大いに歓びましょうね。大昔の出来事でしたが、美しく賢くて勇気のある、玉の輿に乗ったエステルのような女性だ、と褒められているのですから。この美しい一女性について、同民族のために命を賭けた勇気に根ざす生き方は私達女性にとって励みとなり力づけられことでもありますね。エステルのような玉の輿に乗る、という夢に憧れるだけではなく、彼女の特質にも与りたいものですね。日常の些事であっても、ここは!と思える時には、持てる勇気を振り絞って、困っている人々のために自分だけが出来るアクションがあれば、一念発起で行動できる素敵な女性でいたいものです。玉の輿に乗った美女ミス・ペルシャ、それは、エステルでした。

written by 徳川悠未